歴史的な流行病における使用

ホメオパシーが誕生してから200年の間に、1800年代の腸チフスやコレラ、天然痘、黄熱病、そして、1918年のスペイン風邪など、伝染病・流行病のパンデミックがいくつか起こりました。ホメオパシーは、これら伝染病・流行病の治療に広く使われてきた歴史があり、そのいくつかをデータでご紹介します。

1813年チフスの大流行ーナポレオン戦争の終盤、ロシアにつづきドイツへ進撃したナポレオン軍は、ライプツィヒの戦いで敗北するわけですが、戦いによる多くの死者を出しただけでなく、チフスも拡散させました。その当時、ホメオパシーの生みの親であるDr.ハーネマンはライプツィヒにおり、負傷者と伝染病患者の治療に当たりました。ハーネマンが180人のチフス患者にホメオパシー治療をし、内、亡くなったのは2人のみだったということです。以下は当時のホメオパシーとアロパシー(西洋医学)の死亡率のグラフで、アロパシー30%に対し、ホメオパシーは1%以下という結果を示しています。現代でも抗生物質の早期治療による死亡率は1%ということですので、その当時の治療成果としては驚異的だったと考えられます。

1830年代コレラの世界的パンデミックーアジア・アフリカから発症したコレラは、ヨーロッパやアメリカ大陸にも爆発的に広がり、1832年にパリで流行した際には、1日に800人もの死者が出ることもあったと言われています。

年代ホメオパシー
死亡率
アロパシー
死亡率
報告
1831オーストリア33%66%Dr. Wild
1854ロンドン9%59.2%
1855リオ(ブラジル)2%40~60%
1892ハンブルク15.5%42%
コレラ ホメオパシー治療とアロパシー治療の死亡率
※1854年ロンドンにおけるコレラ流行による死亡率

1850年代〜アメリカ 黄熱病ー1878年、アメリカ南部で黄熱病が広がった直後に現地に専門委員会が入り、集められた50万人/100万件以上の処方箋の統計結果です。この報告によると、死亡率は、アロパシーで15.5%、ホメオパシーで6%でした。これは1886年の米国南部ホメオパシー医学協会の第3回年次大会にて、ケンタッキー州ルイスビルのモンロー博士により発表され、『プレジデント・アドレス』という専門雑誌に掲載されました。

年代場所ホメオパシー
死亡率
アロパシー
死亡率
報告
1853ミシシッピー6.43%15~85%Dr. Holcome
1853ミシシッピー6%15~85%Dr. Davis
1878ニューオリンズ6%50%(感染データ1,945件)
1878ケンタッキー6%15.5%Dr. A. L. Monroe
黄熱病 ホメオパシー治療とアロパシー治療の死亡率

1870年~アメリカ 天然痘ー1870~73年の間で、5都市(ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ニューアーク、ブルックリン)における平均死亡者数は、ホメオパシーは1,034人、アロパシーは1,908人。これは、米国の生命保険会社および西洋医学とホメオパシーの代表者がまとめたもとして、1886年米国南部ホメオパシー医学協会 第3回年次大会にて、モンロー博士により発表されました。

ジフテリアー予防接種が広まったおかげで現代ではあまり見られない病気ですが、1862~64の3年間に米国ニューヨーク州ブルーム郡における記録によると、ホメオパシー治療を施した人の死亡率は16.4%、対してアロパシー治療では83.6%という記録が残っています。

1918年 スペイン風邪ー鳥インフルエンザの一種で全世界に壊滅的な脅威を与えました。1921年『The Journal of the American Institute for Homeopathy』に掲載されたレポートの1つ、Dr. MaCann(米オハイオ州)によると、ホメオパシー治療26,000件のうち死亡率は1.05%、アロパシー治療24,000件では28.2%であったと記録されています。

これらのデータは、”Scientific Research in Homeopathy Conference”にてJayney Goddard氏により発表された資料から引用しています。Goddard氏のプレゼンテーション資料はこちらからご覧いただけます。